幻と消えた「柿生離宮(皇居)」計画

(掲載日:2020年6月17日)

  わたしたちの故郷(ふるさと)麻生区にまつわる とても興味深い事実が朝日新聞に掲載されました。
毎週土曜日の特集「be report」原 武史氏の「歴史のダイアグラム」で発表された『柿生の「離宮」と柳田國男』です。
1941年(昭和16年)4月に 「柿生離宮」の建設が計画された多摩丘陵を宮内大臣ら4人が隠密に視察したと記されています。
これは離宮とは名目であり 充分な防空施設のない宮城(皇居)に代わる新皇居を建設しようとする視察でしたが 計画は宮内大臣の一言で歴史の闇に葬られたそうです。
新皇居の候補地として柿生地区が選ばれた理由は、何だったのでしょうか?

また、「柿生文化」第18号 (平成21年12月22日)のトップ記事でも『本当にあった「柿生離宮」計画』があります。

皇居写真400

 

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〇記事出所:朝日新聞 掲載日2020年5月23日(土)
〇記事転載承諾番号:「20-2079」
〇本記事を「朝日新聞社に無断で転載することを禁じる」

 

 

 

 

 

 

 

「柿生文化」(第18号)記事をクリックすると拡大表示します。

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