黒川で「禅寺丸柿の柿もぎと芋掘り体験」

(掲載日:2021年10月2日)

 台風一過の爽やかに晴れ上がった10月2日(土)、黒川で「禅寺丸柿の柿もぎと芋掘り体験」が開催されました。 麻生区と麻生観光協会主催のこの催しは、昨年は広く参加者を募集しましたが、今年は川崎市在住の小学生とその保護者のペアに限定したにも関わらず55組125名もの応募があり、抽選で14組32名が当選して参加しました。
約800年前に王禅寺で発見され日本最古の甘柿として「柿生」の地名の元ともなり、国の登録記念物に登録(2007年7月26日)されている禅寺丸柿は、麻生区の木であり地域の名産物です。
 昔から伝わる柿もぎ棒(バッパサミ)を使っての柿もぎは、地元でも最近はあまり見られなくなりましたので子供たちにとって貴重な体験でした。
禅寺丸柿をモチーフにしたキャラクター「かきまるくん」も 体験会に華を添えました。
柿もぎの後は黒川東営農団地に移動して土の中から大きなさつまいもを堀る体験も楽しみ 秋の一日を過ごしました。

麻生区の木、禅寺丸柿

 禅寺丸柿は、鎌倉時代前期にあたる建保二年(1214)に星宿山王禅寺の山中で発見された、日本で最初の甘柿とされています。このことから柿生の地名の元となり、古くから地域の人々の生活を支えてきました。

 江戸時代の慶安元年(1648)頃から、王禅寺近隣地域に栽培が広がり、地域経済を支える現金収入の大切な産物となっていました。

 明治時代になってからも東京へ出荷されていました。

 明治22年(1889)には、町村制施行で、黒川・栗木・片平・五力田・古沢・万福寺・上麻生・下麻生・王禅寺・早野の10ヶ村が統合され村名は「柿生村」となりました。

 明治時代の末には、関東から名古屋まで出荷され最盛期を迎えました。大正10年(1921)の柿生村の生産量は938トンに達しましたが、その後は新種の登場や都市化の進展による柿の木の減少などにより、昭和40年代半ばには市場から一旦姿を消しました。

 しかし、地域の名産である禅寺丸柿の恩恵や歴史的価値を守るため、平成7年(1995)に地域の人々の熱意と努力で「柿生禅寺丸柿保存会」が結成されその希少価値から人気が復活しました。

 平成19年(2007)7月26日に国登録記念物に指定され、また平成24年(2012)には

麻生区区制30周年記念事業の一環として、禅寺丸柿とヤマユリが区の木・区の花として選定され、8月21日を「禅寺丸柿の日」として日本記念日協会に登録されました。 保存会は、原木の手入れや小中学校や公園への植樹活動、各種イベントの開催、苗木の地域住民への贈呈など、禅寺丸柿を次世代に引き継ぐ活動を行っています。また、禅寺丸柿を使用した禅寺丸柿ワインは柿の香りと甘味が特徴です。