麻生区は昭和57(1982)年7月に多摩区から分区し誕生した。川崎市の北西部、多摩丘陵の一角に位置している。「麻生」の名の起こりは、8世紀頃から朝廷への貢ぎ物だった麻布の原料である麻を広く産した地であったためといわれ、鎌倉時代末期には「麻生郷」についての記録がある。
現在の麻生区は里地・里山など豊かな自然をはじめ、昭和音楽大学や川崎市アートセンターなどの芸術関連施設、黒川・岡上・早野の農業資源、先端技術の研究開発施設が集まる「マイコンシティ」、周辺6大学との公学協働ネットワークなど、区内の様々な資源と連携した多方面にわたるまちづくりを行っている。
また、麻生区は令和4(2022)年に区制40周年を迎える。

シンボルマーク

「麻生」という地名の由来を大切にし、昔この地域で多くとれたという「麻の実」をデザインモチーフに、その中にASAOの「A」を組み込んでいる。
一本のなめらかな曲線の二つの輪は「平和」を、ASAOの「A」は躍進をあらわしている。

ヤマユリは百合丘の地名の由来になったと伝えられ、かつては、区内のさまざまな地域で自生していたが、現在では容易に見ることが困難になってきた。花の大きさはユリ科の中で最大級。開花時期は7月頃で花の香りは甘く濃厚で豪華であることから「ユリの王様」と呼ばれている。麻生区では「麻生ヤマユリ植栽普及会」などの団体が“百合ヶ丘”として復活再生することを目的としてヤマユリの植栽活動に取り組んでいる。

やまゆり
王禅寺の禅寺丸柿s
区の木禅寺丸
柿ワインs

禅寺丸柿は、鎌倉時代前期である建保2(1214)年に星宿山王禅寺の山中で発見された日本最古の甘柿といわれ、「柿生」の地名の元となった。明治時代末期、大正時代に最盛期を迎えたが、その後衰退し、昭和40年代に一旦市場から姿を消した。しかし、地域の人々の熱意により「柿生禅寺丸柿保存会」が結成され、その希少価値から人気が復活している。形が丸く小ぶりなのが特徴。
平成19(2007)年には国の登録記念物に指定されて保護が図られている。平成24(2012)年10月21日に、区制30周年記念事業の一環として「禅寺丸柿サミット」(禅寺丸柿サミット実行委員会主催)が開催され、その日を「禅寺丸柿の日」として日本記念日協会に登録した。

禅寺丸柿キャラクター かきまるくん

平成19(2007)年、柿生中央商店会が主催する禅寺丸柿まつり内のコンクールにて、多くの小中学生の作品の中から選ばれた。さまざまなイベントで活躍し、禅寺丸柿の魅力を発信している。
平成25(2013)年3月、麻生観光協会を中心に、柿生禅寺丸柿保存会、セレサ川崎農業協同組合、柿生中央商店会、川崎市が連携して着ぐるみを作製し、禅寺丸柿の広告マンとして地域のイベントを盛り上げている。